2013年05月02日

neko 氏への回答





         









 このエントリは
 規制反対派の 「集団的人権論への反駁」 を批判 (別館エントリ)
 のコメント欄より引用しました




2. Posted by neko
   2013年08月20日 21:59



やはりわからないのが
「マンガのキャラが性的虐待を受ける」→「実在の児童の人格が傷つけられる」
という流れ。
飛躍し過ぎて全く理解できないのですが、
せめてこの中間を埋める説明はないのでしょうか?


「児童たち自身がどう思おうと、これは性的搾取であり、
人権侵害なのだから、ダメなものはダメ」 と言う理屈が
堂々と通用してしまうという特殊性があるのだ。

判断能力が未熟なことによるある程度のパターナリズムは仕方ありませんが、
話しぐらい聞いてやってもいいのではないでしょうか。
子どもの権利条約でも、年齢と成熟度を考慮する必要はありますが
「意見表明権」を認めています。

また、子供の自己決定はたいてい親が代替していると思われますが、
当該表現は問題ないと考える「親」の意思は無視されてしまうのでしょうか?
大人の間でだって「どうでもいい」という意見がほとんどでしょうが。


3. Posted by neko
   2013年08月24日 21:03


参考リンクを見てみました。
「創作ポルノが子供の尊厳を傷つける」という考えが主流になれば、
子供に「人権を侵害されていると思わなければならない」
という規範を押し付けることになるのではないですか?
その規範を押し付けることに、はたして正当性はあるのでしょうか?
嫌悪感を覚える人、見たいと思う人、どうでもいいと思う人、
感じ方は人それぞれだと思います。
集団の持つ価値観は一枚岩ではありません。
それは子供であっても、その親であっても変わりはないはずです。
児童ではないポルノには集団的人権は適用されていないのに、どうして子供や親にだけ「一枚岩になる」
ことを強要する必要があるのでしょうか?



4. Posted by neko
   2013年08月24日 21:11


「その表現が存在すること自体が嫌だ」と言う人がいれば、
その人には悪いですが、わがままを言ってるようにしか聞こえません。
私はあくまで「見る自由と」「見ない自由」の両方を尊重して
調整にあたるべきだと思います。
規制したところで完全消滅するわけではありませんし、
見てもいないのに勝手に妄想膨らまされても困ります。
見たというのであれば、「見ない自由があるのにどうして見るのか」
ということになりますね。
世の中、気に入らない表現なんて探せばいくらでもあるわけですから、
いちいち気にしていてもしかたがないと思いますよ。
どうしても嫌なのであれば、「表現で対抗する」という手段は残されています。






5. Posted by captain_nemo_1982
   2013年10月08日 12:28




やはりわからないのが
「マンガのキャラが性的虐待を受ける」→「実在の児童の人格が傷つけられる」
という流れ。
飛躍し過ぎて全く理解できないのですが、
せめてこの中間を埋める説明はないのでしょうか?

neko さんが属する集団、たとえば大きい単位なら日本とか、
住んでる地域や母校や部活やってるならそのクラブ、
もっとも小さい単位なら家族、などが
表現によって侮辱されたらアタマに来ないですか?
腹ただしい気持ちにならないでしょうか?

その侮辱表現は、別に口喧嘩での悪口でも
twitter の書き込みでも何でもいいです。
○○ 高校はアホ」 とか母校がバカにされたら
私だったらいい気分はしません。
私自身が名指しで侮辱されたわけではありませんが、
私が属する集団が侮辱されたわけですから。

マンガの児童キャラに対する性的虐待も同じです。
この辺は実際に自分にこどもができたら
より理解しやすい感覚なのかもしれませんが、
自分のこども、と名指しされなくても、
同じような年頃の児童を性的に虐待するマンガで
性的・金銭的欲求を満たして喜んでいるような
大人がいるという事実は、多くの親にとって
不愉快に思えたとしてもおかしくはありません。

「児童」 という、自分のこどもが属する集団が
汚い欲望のために利用され、侮辱されているわけですから。

判断能力が未熟なことによるある程度のパターナリズムは仕方ありませんが、
話しぐらい聞いてやってもいいのではないでしょうか。
子どもの権利条約でも、年齢と成熟度を考慮する必要はありますが
「意見表明権」を認めています。

話とは、どんな話でしょうか。まさか児童が 
「自分たちを性的に虐待するマンガを認めてほしい」
などと主張するとは考えられません。
あるとすれば、その児童本人がそういうマンガを
読みたくて言っている、とうだけの話でしょう。
となれば、そんな 「意見表明権」 は
あっさり大人によって剥奪されることになります。

また、子供の自己決定はたいてい親が代替していると思われますが、
当該表現は問題ないと考える「親」の意思は無視されてしまうのでしょうか?

「問題ない」 だけじゃ消極的意見でしかないので、
「問題ある」 という積極的意見に押されるでしょうね。
対抗するなら 「規制することに問題がある」 という形で
積極的に主張していかないと。

大人の間でだって「どうでもいい」という意見がほとんどでしょうが。

どうでしょうね。5年前の内閣府調査だと、
9割以上の回答者が、規制を支持していますよ。

「漫画・イラストも児童ポルノ規制対象に」約9割──内閣府調査



子供に「人権を侵害されていると思わなければならない」
という規範を押し付けることになるのではないですか?
その規範を押し付けることに、はたして正当性はあるのでしょうか?

大人がこどもに規範を押し付けるのは、
教育上普通の事と思いますけど。
正当性の有無は、社会通念上妥当かどうかが
基準になるでしょうね。

児童ではないポルノには集団的人権は適用されていないのに、
どうして子供や親にだけ「一枚岩になる」
ことを強要する必要があるのでしょうか?

法制化が検討されているからです。
法律を作るという事は、様々な価値観を一つに
まとめ上げて形にしなければいけません。
最終的には多数決により物事を決することになります。
すなわち、少数意見を斬り捨てる事で
一枚岩になることを強要するわけです。

これは、民主主義体制下にあれば
普通に行われていることです。

「その表現が存在すること自体が嫌だ」と言う人がいれば、
その人には悪いですが、わがままを言ってるようにしか聞こえません。

「嫌だ」 だけならわがままで済みますが、
「私たちのこどもたちの人格が侮辱されている」 となると
わがままじゃ済まなくなるってことです。

私はあくまで「見る自由と」「見ない自由」の両方を尊重して
調整にあたるべきだと思います。

「私たちのこどもたちの人格が侮辱されている」 となると
「みなけりゃいい」 じゃ済まなくなるってことです。
自分の見ていないところで侮辱が行われていたら、
それはそれでイヤですからね。

規制したところで完全消滅するわけではありませんし、

大幅に減少すればそれでいいんじゃないでしょうか。
実写の児童ポルノは今でも一部ネットでは出回ってますが、
少なくとも表社会ではほぼ完全に駆逐されましたし。

見てもいないのに勝手に妄想膨らまされても困ります。

ひどい表現が実際に出回ってるので、大して変りないと思いますけどね。
猪瀬直樹知事みたいに、「奥サマは小学生」 に
付箋を貼って 「こんなにひどいんだ!」 って
言われたらどうしますか?

見たというのであれば、「見ない自由があるのにどうして見るのか」
ということになりますね。


自分の子供が見ていたのをたまたま見つける
  ↓
議員に陳情
  ↓
実態調査  って感じですかね。

世の中、気に入らない表現なんて探せばいくらでもあるわけですから、
いちいち気にしていてもしかたがないと思いますよ。

探さなくても目についてしまう程度には世に溢れていますからね。
まとめサイトなんかでも、エントリ自体は政治とかの記事なのに
その手の広告が一杯でていていやでも目に付くってのは
しょっちゅうありますよ。

どうしても嫌なのであれば、「表現で対抗する」という手段は残されています。

どういう表現で対抗できるのでしょうか?
規制の方が効果的ならそっちの方がいいに
決まってると思います。



                                    (2013/10/8 entry)

         








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captain_nemo_1982 at 12:32│Comments(10)TrackBack(0)コメントへの回答 

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この記事へのコメント

1. Posted by neko   2013年10月24日 23:09
回答ありがとうございます。

なるほど、これは私が勉強不足だったか。

「エロ表現→人格侵害」というのが、私の頭ではどうしても結びつかないもので。
(そもそも3号ポルノのせいで、世間がどこまで許容しているのかすらわからない)
親心なんてまだよく理解できませんが、無視し過ぎていたかもしれません。
トラウマというのもあるかもしれない。
でもとりあえず、我が家では規制なんて阿呆らしいで一致しているので、
人によって違うんだろうなーとは思いますが。
2. Posted by neko   2013年10月24日 23:11
>>「 ○○ 高校はアホ」とか母校がバカにされたら
>> 私だったらいい気分はしません。
私もそう思います。
自分の属するグループではなくても、2chでは似たような発言はよく見ますし、
「ロリペド死ね」もそうか。
ずっとネットをやってきて、怒りを覚える書き込みは何度も見てきましたよ。
けっこう刺さるものもありました。

が、どれだけ不快に感じる表現であっても、それを言う権利を否定することはありません。
そうでなければ「表現の自由」「規制反対」なんて言い続てませんよ。
また、表現規制を肯定しても、自分の発言内容に対して鈍感な人間はたくさん
見てきたので、胡散臭いなというのもあります。

結局何を言おうとエロゲやエロ漫画を守るための主張にしかならず、
多数派の同意を得ることは難しい。
何かいい案があればいいんですけどね。

「当の子供が置き去りになってますよ」ということだけは、
若者として一応言っておきます。

右も左も表現規制に躍起になっていて頭が痛い。
3. Posted by neko   2013年10月24日 23:18
もう一つ心配なのは、小児性愛者について。
3次派で真性の人は本当に大変でしょうし、
悩んでいる人は多いのではないでしょうか?

「ロリペド死ね」「犯罪者予備軍」「社会から隔離しろ」
「去勢しろ」「奴らに人権は無い」
なんてのを見てると、ひどく不快な気分になります。
(しかも表現規制に賛成の人も言ってるという事実)
恐らく、彼らは善意や正義に基づいて言っているのでしょう。
実際に被害にあった人もいる。憎むのが自然なのかもしれない。
少なくとも警戒するのは当然か。

何なんでしょう。吐き気がします。

私はヴォルテールに賛成していて、口をふさぐことを是としません。
しかし、何かした方がいいのではないかと思えてくるのです。

小児性愛者への向き合い方。
「子供の人権」を問題にするのであれば、
いつかは考えなければならないことではないのか。
それとも、このような考えを持った私こそが傲慢なのか。
今の私は偽善者かもしれない。
4. Posted by neko   2013年10月24日 23:20
ちょっといくつか覗いてきました。

性暴力犯罪者に必要なのは厳罰と社会的監視であるのか?
http://togetter.com/li/551483
表現の是非という問題
http://togetter.com/li/519434
性的指向というレトリックと「性の序列化」
http://macska.org/article/48
【性表現が世の中に氾濫(?)していること自体が児童虐待である】という主張について考えた。
http://www.twitlonger.com/show/7ljidm
「近代の論理」と都条例、そして知的・精神・発達障害者やオタク、
同性愛者などのセクシャルマイノリティへの差別・排除について
http://togetter.com/li/78143?page=1
性犯罪者更生プログラムの是非、および小児性愛者との共生の可能性(ミーガン法 Part 5)
http://macska.org/article/64

nemoさんは同じようなものをもうすでに見ていらっしゃるかもしれませんが、一応載せておきます。
5. Posted by neko   2013年11月24日 20:34
また、二次元キャラを愛する人がいたとしても、
たとえそれが性的に出会ったとしても、
自由であるとしてほしい。
わたしはそう切に願います。
6. Posted by neko   2013年12月04日 17:45
しかし、「集団的人権」というのはどうもマッキノン的だなぁ・・・
規制派が彼女のように、ポルノを嫌悪しながら、
暴力的な作品ばかりを目を皿のようにして視聴し、
それを公然とつきつける姿が目に浮かびますよ。
それらの作品を糾弾するために。

悪影響論も根強いようですし。
フィクションと行動を区別できる、人間の「人間らしさ」を否定されているようで、
個人的にはものすごく傷つく話です。

7. Posted by captain_nemo_1982   2014年01月01日 06:34
返事が遅れてしまったことをお詫びします。

>>どれだけ不快に感じる表現であっても、それを言う権利を否定することはありません。

言われる側に反論・反撃するスキルや、
スルー出来るだけのメンタルの強さがあれば
それでもいいと思います。

しかしそんなスキルやメンタルが未熟である児童は
保護されるべき弱い立場にあるという事で、
保護すべき大人としては傷つけられるのをただ黙って
見ているわけにはいかないという事でしょう。

>>「当の子供が置き去りになってますよ」ということだけは、
>>若者として一応言っておきます。

傷つかない子供もいれば傷つく子供もいるでしょう。
となれば、後者に配慮するという施策は十分ありえます。
また、傷ついているかどうかは大人社会が判断するという事に
制度上なっているがゆえ、当の子供が置き去りにされることは
ある程度やむを得ません。


>>もう一つ心配なのは、小児性愛者について。
>>3次派で真性の人は本当に大変でしょうし、
>>悩んでいる人は多いのではないでしょうか?

それは私も以前から考えてました。
よろしかったらこちらのエントリをご覧になってください。

思想的支柱は 「オタまも宣言」
http://captain-nemo-1982.doorblog.jp/archives/54476720.html

社会の偽善にいかにつけこめるか (未完)
http://captain-nemo-1982.doorblog.jp/archives/54476724.html
8. Posted by captain_nemo_1982   2014年01月01日 06:35

2つ目のエントリの最後の方でも書いてますが、
性同一障碍者たちは、表現や社会運動を通して、
社会に自分たちの存在を認知させていったんですね。

小児性愛者の場合も、
漫画家が中心となって結成された規制反対団体である
AMI などが積極的に表現による擁護を行って
世間を啓蒙していくべきだったと思うんですが、
彼らときたらHPに偏見を増長させるような過激なロリイラストを
堂々と掲載して、 

 【どんなマンガであっても想像上のモノであれば守られるべきである】
 という、AMIっぽさを体現しよういった気持ちで描きました。
 商業誌では流通や出版社の規制があって、
 なかなか自由に描けない作家さんも
 居ると思いますが、新しい世代が煩わしいことを気にしないで描ける世の中が
 来るとイイナと思っています。

などとのたまう始末で、これではどうしようもありません。
 (ちなみにAMI は既に解散しました)


要するに、規制反対派は世間のコンセンサスを得るための努力を
一切ほったらかして、愚にもつかないデマゴーグを量産することしか
やってこなかったんですよ、児ポ法成立以来。

特に、有力な規制反対派のほどんどは三次元を斬り捨ててでも
二次元表現を守るという戦略を主に採用していましたから、
今さら小児性愛者をどうにかしてやれと言っても
無理な相談だと思います。

9. Posted by captain_nemo_1982   2014年01月01日 06:35

>>悪影響論も根強いようですし。

根強いですね。
学説的には良くも悪くも影響があるというのが通説となってます。


>>フィクションと行動を区別できる、人間の「人間らしさ」を否定されているようで、
>>個人的にはものすごく傷つく話です。

私は全然違う考えを持っています。

私は今まで生きてきた中で、
様々なフィクション(創作表現)に影響を受け、
それを考え方や行動にダイレクトに表してきました。
それは私だけじゃないでしょう。
一冊の本とか、一本の映画で人生が変わった、
などと言う人は沢山います。
それが賞賛されるべき業績に繋がる例もあれば、
非難されるべき犯罪に繋がる例もあるでしょう。

ほとんどの人がそういう実感を持っているからこそ、
表現の影響説は説得力を持つのです。
そして、だからこそ表現は素晴らしく、偉大なのです。
人々の心を強く動かす力を持っているからこそ、
それに触れる事を強く推奨されたり逆に規制されたりするのです。

neko さんにとってフィクション(創作表現)とは、
その後の人生に一切なんの影響を及ぼさない程度の
一過性の娯楽に過ぎないものなのでしょうか?

そうであるならそれは創作者にとって
とても失礼な話ではないかと思いますし、
その程度のものをなんで表現の自由とか憲法とかいう
仰々しい理屈で守らなければいけないのか理解できません。
10. Posted by     2014年07月06日 05:10
論点がズレすぎだろ。
○○が馬鹿にされた、は表現のひの字にも入らねえよ。

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