2013年06月06日

表現規制に賛成する理由








まず最初に言っておかねばならない事は、

私個人としては児童ポルノや
児童を性の対象とした創作物表現が規制されようとされまいと、
大して興味も関心もない


と言うことである。

私自身は小児性愛の趣味は全く持ち合わせていないし、
それらが国家権力によって規制されたところで、
表現の自由が危機に陥ると言うような実感も沸かない。
性的に虐待されている児童がいるというなら、
救済のための表現規制も仕方ないかな?くらいは思う。

また一方で、「児童を性の対象とする風潮」 が
一般国民の間にそれほど浸透しているとも思えない。
(それに対する漠然とした不安、嫌悪感は存在しているだろう)
自分に娘がいれば、「そういうのが巷にあふれたらやだな」
くらいは思うかもしれないが、今はいないので
正直どうでもいいという気がしている。

私は人並み程度には政治に関心があったので、
政治系ブログを巡回したり、掲示板で議論を闘わせたり
していたし、2chならニュース系の板を良く覗いていたが、
児童ポルノ法がいつどこでどうなっているのかなど
良く知りもしなかったし、別に知りたいとも思わなかった。

しかし、その程度の関心しか持ち合わせていない私の目にも、
表現規制反対派の主張が偶然目に入ることはあった。
そのたびに、「どうなんだろう?規制推進派と反対派、
どっちの言い分が正しいのだろう?」 と言う思いは
かすかではあるがよぎることも有った。
ただ、後述するが私は戦後民主主義に対する
懐疑心が強く、表現規制反対派の言説にも
同じ種類の胡散臭さを感じていたのは事実だ。


そんなときに目にしたのが2chニュース議論板に立っていた
児ポ法改正反対者は反日売国奴のサヨクである。
と言うスレッドだった (略称 売国奴スレ)。

そこのスレ主 = 1 さんである栗花落白光氏のブログ
(現在は削除されている) にあった
マルチン・ニーメラーの詩に対する批判を見て、
私なりに思ったところを売国奴スレに書き込んだのが
この議論の始まりだった。

この時点で、私が議論に参加する動機となった
第一の要因は、

① 戦後民主主義への懐疑心

があげられる。

ここで、戦後民主主義について説明しておこう。
戦後民主主義の定義は諸説あるが、
私は佐藤健志氏の著作である
「幻滅の時代の夜明け」 における

a) 極めて強い反国家・個人主義
b) 話し合い至上主義
c) 繁栄至上主義

を、議論するに当り採用している。

そして、それは政治形態である民主主義とは
何の関係も無く、むしろ時と場合によっては
対立する概念であるという立場を踏襲している。

朝日新聞などが好んで使用する、「数の暴力」 という
多数決への非難などが、もっとも適切な
対立事例の一つとしてあげられるであろう。

もちろん、戦後民主主義は国民の
健全で文化的な生活を確保するために
多大な恩恵をもたらしてきた側面は否定できない。
しかし、民主主義を都合よく曲解した、
自分の思い通りに政治が動かないのは民主主義の
運用が間違っているからだ、などという
認識の蔓延は、民主主義にとって有害であるとして
積極的に刈り取っていかねばならないと考えていた。

そして、私が散見する限りにおいて、
表現規制反対派の言説は、ほぼ例外なく
戦後民主主義の悪しき突出による理論武装が施されており、
これは徹底的に批判する値打ちがあると思えたのだった。



この時点では、規制反対派に対する対抗意識は
「戦後民主主義っぽいから疑ってかかるべきだな」
程度の感情論に過ぎず、論理的に反駁を加えれるほど、
練り上げられた知識を有してはいなかった。

通りすがり程度のきっかけで書き込んだ
売国奴スレだったが、何回か書き込みの応酬を行ううち、
児童ポルノ法に関する様々な知識や情報を得る必要に
迫られてきた。
そこで色々調べてみたところ、
規制賛成派の立場で主張をおこなうサイトや
ブログというものはほとんど存在していないということに
気がついた。
逆に規制反対派が立ち上げたサイトやブログは
いくらでもネットに転がっている。それらに目を通すうち、
やはり規制反対派の主張に説得力は感じられないと言う
気持ちが強くなっていった。

しかし、それらに対する有効な反論を行う人間が
全くと言っていいほどネットでは見当たらない。
それなら、自分がやってみようと思い立った
のが、
この議論に参加する動機となった第二の要因である。

すなわち、議論を通して

②規制反対派の主張は

    説得力が無いと言う事実を証明したい


と考えたのであった。


児ポ法規制反対派と敵対するその他の要因としては、

③狂信的な政治主張を行う集団に

    議論をふっかけるのは面白い


というのがある。
私が今までいろんな掲示板で色んな主張をしてきた中で、
もっとも多くの議論を費やしたのは児ポ法問題だが、
それはそれだけ反対派が狂信的で独善的であり、
ネットの勢力において支配的であったから、
やりがいと興味が永く持続したという事は間違いないだろう。





さて、冒頭で私は児ポ法がどうなろうと興味はない、と書いたが、
立場を問われれば 「消極的賛成」 と答えることにしている。
これについてもちょっと説明しておこう。

まず、一般国民の世論では、児童ポルノに対する
忌避観が大勢を占めている。
また、児童ポルノによって実在の児童の
人権が侵害されていると言う主張が存在する。

しかし、だからといって児童ポルノを即座に
規制していいという話にはならない。

表現の自由を保障する憲法の問題もあるし、
規制反対派による 「表現規制は意味が無い」
「逆に弊害を生む」 「陰謀が行われている」
などなどの様々な主張にも耳を傾けなければいけない。

しかし、それらが全てクリアされれば、
民主主義の大原則である多数決を
妨げるものは何も無い。

私のような、この問題に無関心な人間でも、
多数決の原則によって消極的賛成の立場を
取らざるをえないのである。




さて、私はこのエントリのタイトルを
「表現規制に賛成する理由」 としたが、
ここまでお読みいただいた方なら、
厳密に言えばこのタイトルは間違っており、

「表現規制反対派に反対する理由」

としたほうが私の議論姿勢にかなっているということに
同意いただけることだろう。

私は、既存の規制推進団体の主張も、
規制反対派のそれと同じくらい胡散臭いものに
感じており、それらの主張を積極的に踏襲することは
ほとんど無い。

また、児ポ法議論に際して私が積極的に規制推進の
立場から立論することすらほとんど無く、
その労力は規制反対派の主張への反論に
ほぼ費やされている。

規制反対派の主張を無効化・相対化できれば、
それだけで消極的賛成の立場を
取り続けることは可能であり、
それが妥当であることを証明し続けるべく、
児ポ法関連スレッドで議論を積み重ねているのである。





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captain_nemo_1982 at 13:59│Comments(6)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

1. Posted by わらぽん村の名無しさん   2013年07月29日 01:29
>規制反対派の主張は
>説得力が無いと言う事実を証明したい

言い訳乙
ポルノ規制した国はいずれも性犯罪は増えてるぞ
この時点で、規制は効果を発揮しない
2. Posted by KOBA   2013年07月29日 04:23
 >この時点で、規制は効果を発揮しない

 立証責任は反対派にあることをお忘れなく。
3. Posted by neko   2013年08月25日 22:27
nemoさんの主張は、戦後民主主義への懐疑心の他に
「反社会的表現は叩かれてこそ」という考えが根底にありますよね。
そこで思ったのですが、反対派は表現を叩くなという主張しているのでしょうか?
反対派の主張は、「法で罰するな」というものであり、
ある表現を非難することは「表現自由」の観点から許容しているはず。
叩くなと言っているようには思えないのですが。
4. Posted by 通りすがりのフェミ反対派   2014年06月23日 06:53
カナダはポルノコンテンツを徹底的に排除しましたよね?
ではなぜ日本は児童の権利(笑)だー!とぬかしてゲイを増やそうとするのですか?

こういう感じか?

ポルノ規制する

ブログ主の考え方

性犯罪が減る

日本が平和になる。

予想

性犯罪が増える

治安悪化

ゲイが増えて余計性犯罪が増える

ノンケが女を強姦したり違法ポルノ量産する。

大人の出てるポルノも完全に禁止される。

ゲイも消される

日本孤立


規制してもどっちみち少女どころか成人女性も守れない。ノンケの男も。
5. Posted by ds (Atc)   2015年03月07日 15:11
何故表現規制したら「ホモが増える」事につながるのか?それって差別的発言じゃないすか?

6. Posted by せんず   2015年03月08日 21:34
ある人が思った
『同性婚を規制したら異性愛が増えるだろうか?』
ある人が思った
『異性婚を規制したら同性愛が増えるだろうか?』
ある人が思った
『大人しか見ない非実在人物の児童ポルノには被害者がいるのだろうか?』
ある人が思った
『表現と好みを守らなければ・・・』

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