2013年06月03日

子ども神話  ■ その 2 ■


こども神話が体感治安を悪化させる


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その他、子どもの人権重視の象徴として、
90年代後半のブルセラ援交問題、酒鬼薔薇事件
2000年のバトルロワイアル規制問題をめぐる
各言論状況を述べておきたい。

ブルセラ援交に関しては、宮台真司が
旧来の倫理主義的言説は無効と切り捨て、
むしろ時代性の現れであるとの認識から、
社会システムをその変化に対応させるべきという主張を行い、
少女の自己決定権を肯定したとして脚光を浴び、
オピニオンリーダーと目された。



2008/8/4 追記

小浜逸郎は著書 「いまどきの思想、ここが問題」 (PHP研究所) の
「『コギャル・ブルセラ・援助交際』論を読む」 の中で、
女子高生売春を由々しき問題として浮かび上がらせた原因として、

  ①売春防止法以前も以降も、10代の売春少女は存在していたが、
   「女子高生」 が珍しかった時代からすべての10代少女が
   「女子高生」 と呼ばれる時代となり、プロとアマの境界が
   取り払われたことで、「普通の子」 と 「普通でない子 (売春少女)」
   とを識別する社会的指標が消滅した。

  ②「売春-買春は悪である」 という考えが市民権を獲得
    しはじめたのは、社会構造が大きく変化したここ数十年のことである。
    「人間は等しく個の尊厳を持つ存在として認められるべきだ」 
    という近代の原理 (タテマエ) が、市民社会の確立と
    安定の過程を通して、それなりに浸透し定着していったところに
    うまれた価値観の一つに過ぎない。


すなわち、女子高生の性モラルが低下したのではなく、
それらに対する社会のまなざしのありようが変化したのであると
指摘している。




また、97年におきた酒鬼薔薇事件では、
個人の異常性の問題であるという主張の一方で、
社会・教育・環境に問題を帰結させようとする
言論も多く見られた。

象徴的なのは当時の文部大臣小杉隆の
「心の教育」 提唱で、要するに教育に責任が
あったと反省の弁を述べたものであり、それと連動して
「子どもと話そうキャンペーン」 なども展開されたが、
これはまさに 「子どもは純粋無垢で守られる存在」
という当時の社会意識が、猟奇殺人犯である
14歳の少年にも適用されていたということがわかる好例である。

2000年には、バトルロワイアル問題が持ち上がった。
中学生が一クラス42人で殺しあうという過激なストーリーが
国会で取り上げられるなどして話題を呼び、
R15に指定されたことにより、民主党議員石井紘基と
監督・深作欣二の直接討論を頂点に、議論が各所で展開された。

PG12やR15指定が何の話題にもならなくなった昨今だが、
「子供同士が殺しあう映画だからこそ子どもに見せたい」
などという倒錯した議論が大手を振ってまかり通っていた
当時の言論状況が、いかに時代を反映していたかという点は、
記憶にとどめておく必要があるだろう。

「子どもは純真無垢で守られるべき存在」 という
社会認識が圧倒的に主流をしめる決定打となったのが
2001年の附属池田小事件である。

この事件以降、学校のセキュリティは強化が進み、
従来は地域に向けて開かれっぱなしだった校門も
施錠が常態化され、訪問する保護者も氏名記帳の上
名札を着用しないと校内も歩けないという状況をもたらした。

余談だが、俺は小学校を卒業してから大分立って、
初日の出をみるために明け方の母校に忍び込み、
屋上に上がって小一時間ほど東の空を眺めていたという
経験が一度ならずある。それを思うと隔世の感がある。


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captain_nemo_1982 at 01:00│Comments(0)TrackBack(0)こども神話 

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