2013年06月03日

子ども神話  ■ その 1 ■


こども神話が体感治安を悪化させる


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有害情報規制に反対する人々の言い分に、

  「子どもによる犯罪、子どもに対する犯罪は
  減少し続けている。
  それをあたかも最近になって増加したように
  報道するマスコミに、一般大衆はだまされている」


というものがある。

マスコミによる煽りのせいで、体感治安が
一人歩きしているとして、こんな記事も出ている。
  (記事全文を引用したブログ。元記事は削除済み)


クローズアップ岡山:“子どもたちが危ない”…数字的には「?」 /岡山
 
◇「人を見たら不審者と思え」の風潮 お互い疑心暗鬼に

 昨年9月、「県犯罪のない安全・安心まちづくり条例」が施行された。
中でも重点課題は「子どもの安全」だ。各地で防犯パトロールが行われ、
県警は不審者情報のメール配信を始めた。だが、子どもたちは本当に
危険にさらされているのだろうか。【石戸諭】

◇信頼感育てることこそ

 「子どもたちが危ない」と言われる。条例制定に当たり提出された
検討委員会の最終報告でも、冒頭に挙げられたのが「幼い子どもが
犠牲になる凶悪事件の続発」だった。

 県によれば6月段階で、PTAなど516もの団体が通学路の
見回りなどの自主パトロール活動を行っている。
06年に県警に寄せられた不審者情報は965件で、
05年の542件から大きく増えた。県警は情報をホームページで
公開するだけでなく、8月からは携帯メールでも配信している。
目撃情報や事案の概要、発生場所の地図も添え、
1000人以上の県民が登録済みという。

 しかし、人口動態統計によると、0~9歳の子どもの死因で
「他殺」は85年の212人に対し、05年は69人。
約20年で3分の1に減った。県内でも85年の3人から0人に減少。
不慮の溺(でき)死(5人)や窒息(7人)に比べても少なく、
10代まで範囲を広げても他殺はない。子どもたちの安全環境は
必ずしも悪くなったとは言えないようだ。


 実は数字と人々の治安悪化感情にはズレがあるという。
前出の検討委員を務めた保育サポートNPO「あい・あい」の
中島久美子理事長は「数字上の事件は減ったかもしれない。
しかし、母親たちはテレビなどで報道される凶悪事件を、
他人事ではないと受け取めてしまう。誰がパトロールを
しているのかが分かっていないと、防犯活動すら
信用できなくなっている」と話す。

 治安・犯罪問題に詳しい社会学者の芹沢一也氏は
「治安悪化は根拠がない」と断言する。にもかかわらず、
危険な行動をする子どもに注意しようとした大人が
不審者扱いされたり、知的障害者施設が「不審者ではありません」
と訴える小冊子を作成せざるを得なくなったケースもあるという。
その結果、「近隣で気軽に声を掛け合う地域を目指しながら、
まったく反対の効果を生み出している」と芹沢氏はいう。

 実際にはほとんど発生していない凶悪事件対策よりも、
芹沢氏が指摘する「本当の安心とは、危険や困難に直面した際、
自治体や地域で支えるという信頼感」を育てることが
必要なのではないだろうか。

毎日新聞 2007年8月24日



しかし、それは大衆の原像を繰り込んでいない
一面的なものの見方であると考える。

必要なのは、90年代以降から徐々に浸透していった

  「こどもは純粋無垢で守られるべき存在」

という大人社会のまなざしが、犯罪一件一件の
重みを肥大させていった結果、犯罪件数は
減少しても総量として体感治安は悪化しているという
現象を招いている、という視点である。

当稿では、80年代に顕在化した教育問題の表面化に続く、
90年代以降の子どもの人権尊重傾向を根拠に、
体感治安の悪化の正当性を論証するものである。




「問題が表面化した80年代」

校内暴力・・・・・・・70年代後半から80年代前半にかけて頻発。
           文部省がはじめて全国調査を行った82年が
           ピークであったと思われる。

いじめ・・・・・・・・・校内暴力と入れ替わるようにして顕在化。
            発端となったのは、
            86年の中野富士見中学いじめ自殺事件から。

登校拒否・・・・・・・戦後の貧困期以降長欠率は降下しつづけてたが、
           80年代あたりから上昇に転じる。

校則問題・・・・・・・校内暴力対策として明示化・規範化が進行した。
           しかし、行き過ぎに批判が続出。85年の日弁連報告、
            86年の臨教審答申などが校則の
           形式化・硬直化を訴えたのが代表例。

他に、戸塚ヨットスクール事件 (83年) など体罰問題。

管理教育批判が頂点に達したのは90年の神戸校門圧死事件。

事件が起こった神戸高塚高校は管理教育・
生徒指導推進校として高い評価を得ていたが、
行き過ぎた指導への批判が全国的な議論となり、
管理教育の大きな転換点となった。

このように、80年代末の教育状況は混迷を極めていたが、
行き過ぎた管理教育に代わる処方箋として、
校門圧死事件と入れ替わるように登場したのが、
「こどもの権利条約」 である。

89年に国連が採択し、日本が批准したのは94年だが、
90年にシンポジウムが開かれ、世論が形成されつつあった。

この条約の登場を機に、こどもは管理・教育される存在から
権利を持った主体へとして扱われて行くようになる。



「子供の人権・自由を尊重した90年代以降」

偏差値追放・・・・・・・・92年、埼玉県教委が先陣をきり、文部省も追従。
             93年の文部省高校教育改革推進会議で
             文部省方針が明確化された。  

指導要録公開・・・・・・93年、評価の公平化・客観化を目指し、
              川崎市教育委員会が全面開示を決定。

ゆとり教育・・・・・・・・96年、文部省・中教審にて、ゆとりを重視した
             学習指導要領を導入。
             99年に改正され、2002年から実施された。
             実施項目は、学習内容・授業時数の削減、
             完全学校週5日制の実施、
             「総合的な学習の時間」の新設、 「絶対評価」の導入。



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captain_nemo_1982 at 01:30│Comments(6)TrackBack(0)こども神話 

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この記事へのコメント

1. Posted by 多摩武蔵守   2015年06月09日 21:26
「子ども神話」については、nemoさんの見方は慧眼だと思っていて、近年の子供を巡る諸々は「子ども神話」で説明がつくことが多いと感じています。

「声かけ事案」で厳しくしているのは、その表れでしょう。
 警備会社や鉄道会社にはスマートフォンによる見守りサービスを始めるところも出てきました。
 最近では子供に綱をつける、つけないが論争になったことがありましたが、これも「万が一にもぶち当たったら取り返しがつかない」という不安を感じている向きと、そうでない向きの対立なのでしょう。

 一方で、保育園や幼稚園を迷惑施設扱いする向きが出てきたり、子供の声が騒音か否かが論争になったりするのは、「子ども神話」にうんざりしている向きによる揺り戻しではないか、と考えています。

 ただ個人的には、「子ども神話」にはそろそろ歯止めをかけなければ、逆に社会にとっての損失が大きくなるのではないかと考えています。
 子供にハサミも使わせない親がいるらしいですが、それは明らかにやり過ぎでしょうし、学校や部活動の送り迎えまで必須になったら、親には大きな負担になるでしょう。

 これほどまでに「子ども神話」が肥大したのは、日本国民が後ろ向きになって、発展よりも安心を求めるようになったことが原因の一つではないかという気がしています。
2. Posted by captain_nemo_1982   2015年06月10日 04:10

こども神話って言葉自体は小浜逸男氏の受け売りです。
ただ、氏は1985年の著作で
 「それを信じる人もやっと少なくなってきた」
と書いてますが。
  (ブログ記事の分析は私のオリジナルです)

>>保育園や幼稚園を迷惑施設扱いする向き

私もテレビで見ましたが、逆の印象を持っていて、
社会にとってこどもは大事なんだ、という価値観が、
騒音扱いする無理解な大人を非難する、という視点を持つことで
ああいうニュースをクローズアップさせたのではないか、
と考えています。
以前からクレームはあったが表面化してなかっただけではないか、と。

>>「子ども神話」にはそろそろ歯止め

欧米の児童保護施策の徹底は凄まじいものがありますが、
日本も遅れてるとはいえ追従してますから、難しいでしょうね。
DQNネーム (キラキラネーム) の流行なんかを見ても、
そう思います。


3. Posted by 多摩武蔵守   2015年08月27日 20:20
「子ども神話」のなせるわざとしていいのかわかりませんが、今日、ツイッターで見かけた話題です。

「迷子の女の子に『どうしたの?』って聞いたら親に警察を呼ばれそうになった」
http://togetter.com/li/865612#c2115584

 最近は声かけ事案でナーバスになっている人も多いから、こんなことが起きるのかも知れません。

 不幸な事例なのは確かですし、ぶち当たった人は嫌な思いをしたと思います。しかし日頃
「数人おかしい奴がいたからと言って全体を否定するな」
「子供の人権を守れ」
 と主張している人々が、この例をもって「もう迷子の子供は見捨てる」と言ったら、それはダブルスタンダードになるでしょう。


4. Posted by captain_nemo_1982   2015年11月29日 13:59

返事が遅れてしまったことをお詫びします。


>>ダブルスタンダード

確かにその通りですね。
「迷子の子供は見捨てる」 と言いたい気持ちも
分からないではありませんが、本当に児童の人権を考えるなら、
いかに迷子とはいえ連れ去りと誤解されてしまうような
言動に関しても十分注意するべきではないかと思います。

その togetter でも複数の人がコメントしているように、
場所がスーパーなら店員や警備員にあらかじめ協力を求めて、
子供が仮に親の前で迷子じゃないとウソついたとしても、
自分が連れ去り犯でないという証人を押さえておくとかですね。

私も昔、迷子をデパートの案内所まで連れて行ったことがありますが、
そこまで深くは考えてなかったし、そこまで考えなきゃ
いけないってのもめんどくさい話ではあると思います。

でもそれが 「時代の流れについていく」 ってことなんでしょう。

5. Posted by captain_nemo_1982   2015年11月29日 14:01


ただ、子供を一人きりにさせた母親に対しては、
一言文句を言うべきだと思います。

 「警察を呼ばれなきゃいけないのはあなたの方ですよ。
   あなたが子供を置いてこの場を離れたのは明白な事実で、
    ネグレクト (育児放棄) が疑われます。
   
   児童虐待防止法の第6条、児童福祉法の第25条を知ってますか?
    保護が必要な児童を発見したら、通告しなきゃいけないんですよ。
   つまり、私があなたを虐待親として警察に届ける義務があるんです。
    それが嫌なら子供から目を離しちゃダメでしょう。
      こんな事繰り返してたらいつか本当に連れ去られますよ?
     何?私は虐待してない?虐待親はみんなそういうんですよ」

くらい言ってやったらちょっとは気も晴れるんじゃないでしょうか。

実際に通告するなら児童相談所や福祉事務所に
虐待通告受付票を提示するなどの手続きな必要なので、
ただ110番するとかの簡単な話じゃないですけどね。
でもほんとに腹が立ったのなら、
 「それやったら警察に行って話つけようや」
くらいに話をこじれさせてもいいと思うんですが。

6. Posted by 多摩武蔵守   2015年11月30日 23:42
 こちらこそ、いつもお返事をいただけて嬉しく思っています。 
 nemoさんと情報を交換したり、意見を交換したりするのは楽しいので、今後も迷惑でなければお付き合いください。

 正直、直にあっていろいろお話しできたらいいのに、と思うこともあります。

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