2013年05月04日

感情論で児童の人権を線引きする規制反対派


規制反対派の運動方針について



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 このエントリは 内閣府スレ★9 より引用しました



740 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/06(火) 15:03:57 ID:UOSDA7FH

俺に言わせれば、推進派も反対派も論理に誤謬が多々ある。
それらを取り除けば、残るものは価値観の相違、悪く言えば感情論。
ならば、多数決で政策決定すればよい。
少なくともわが国の民主制度は、個人の価値観による
意思決定や政治参加を阻却しない。

 このレスのみ 内閣府スレ★8 より引用しています










31 名前:理系学生 ◆2k0hwTtM.6 [age]
     投稿日:2009/01/07(水) 12:52:31 ID:jjJRMewx


>俺に言わせれば、推進派も反対派も論理に誤謬が多々ある。
>それらを取り除けば、残るものは価値観の相違、悪く言えば感情論。

ずいぶんと面白いことを言ってくれましたね。
児童保護の観点から言えば誤謬の指摘によって状況が改善するので、具体的にお願いしたい。











451 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/08(木) 22:23:39 ID:7Q8fh6Bd

共に、統計にしろなんにしろ物事を都合よく解釈する傾向にある。
規制推進派の場合は、強力効果論や 「日本は児ポ大国」
統計に反した治安状態の評価、因果関係と相関関係の混同などであり、
それらに対する規制反対派の批判はおおむね妥当と考える。

また、規制反対派の場合は今まで俺が指摘してきた事、
>>1の調査に対する批判、陰謀論、冤罪や強権捜査に対する懸念などは
論理性や現実性に欠けた主張であるとして批判してきた。

しかし俺がもっとも気になっているのは、「児童の人権は保護されるべき」 
という前提を、反対派までもが無批判に容認している事。

規制反対派は 「児童の人権保護」 という前提に同意を示す一方で、
根拠の提示無く、児童の人権を思う方向に制限しようと躍起になっている。
彼らが感情論を否定し、啓蒙主義の立場に立つ以上、
これはダブルスタンダードであり重大な誤謬である。

ちなみに、今回の稿で言う 「反対派」 とは、AMI大谷スレのように、
「本当の児童虐待の記録である児ポ規制には同意するが、
 児童の人権を侵害しない 二次創作物 創作表現規制には反対」
という主張を行う、いわゆる二次規制反対派を指す。
これは、俺の見る限り、ネットでの発言・発信やリアルでの活動において、
二次反対派によるものが質量共に圧倒的であるという
印象にもとづく。




児童の権利に関するジュネーブ宣言 (1924年)


 児童の権利に関する宣言 (1959年)


 児童の権利に関する条約 (いわゆる子どもの権利条約 1989年)


↑ の条文の分量が回を経るごとに倍々に増えていると言う
事実に鑑みるまでも無く、児童の人権の定義やその範囲は
拡大し続けており、それは時代時代の社会通念に強く規定される。

やっかいなのは、この問題において人権を有する主体が
「価値判断力が未熟」 とされる児童にある点で、
それは児童本人の好む好まざるに関わらず、大人社会が
自分達の価値観でその人権範囲を決定することを意味している。

となれば、児童の人権保護という前提に積極的に
関わろうとするものは、必然的にその定義や範囲を
どう定め、指し示すかという問題から逃れる事はできない。

そして、児童の人権という観点に限定すれば、児ポ法をめぐる対立とは
国家間の領土問題のごとく、推進派と反対派によって行われる、
児童人権範囲線引きの主導権の奪い合いであると考える。


規制推進派は、単純所持や二次創作物創作表現の流布に至るまでが
実在の児童の人権を侵害すると考えているだろう。
その立脚点は感情論であろうが、彼ら (彼女ら) は
別段それを隠そうとするそぶりも無いので、まあそれは良い。
彼ら (彼女ら) は自らの主張に対する世論の合意を
取り付けることを目的としており、その戦略は一貫している。

しかし、感情論による規制を蛇蝎のごとく忌み嫌い、啓蒙主義に
拘泥する反対派が人権被害の抵触ラインを語るとき、
その線引きはいかなる客観的・普遍的根拠に裏付けられるのか?

彼らはよく 「本当の児童虐待」 などと口にするが、
何が本当で何が本当でないか、真剣に議論されているのか?
また、慎重な議論を経て、一定の合意を取りまとめているのか?
また、その見解をもって世論の合意を勝ち取ろうと努力しているのか?

 (言うまでも無く、児童虐待の範囲もまた拡大し続けている。
   それは、減少する嬰児殺件数と増加する児童虐待件数を
    あらわす統計を見ても明らか)



大谷スレのテンプレには

「子どもたちが性犯罪者によって強姦などの虐待を受けている場面を
撮影され、その映像を売り物にされる」などの悲惨な人権侵害


と書いてあり、そのような児童ポルノの規制は合憲判決が
でているため同意する、だそうである。その一方で、

性的虐待の防止のためにあるはずの法律で、
水着姿を取り締まるのは明らかに異常です。


などとも書いてある。水着姿の取締りと言えば心交社DVDだが、

家出した17歳の少女にろくにギャラも払わず、
性器の形がはっきり分かったり、野菜を咥えさせられたり、
白濁液をかけられたりといった場面を撮影され、
売り物にされることがどうして正常であるのか、


悲惨な人権侵害との線引きは

  どのようにしてなされているのか


俺はあそこは80スレ目くらいからおおかたはROMってるが、

いまだ納得のいく見解を目にした事がない。


「水着を取り締まるのは異常」 と記したテンプレは
120スレ目 (2009/5/16 スレ立て) から削除されています



規制反対派がこの誤謬から逃れる方法は2つ。

一つは、客観的・普遍的根拠に基づき児童の人権の範囲を
定義づけることである。
もっともこれは、俺の勉強不足で既に論じられ結論付けられているのを
知らないだけかもしれないので、ご教示の向きあらばお願いしたい。

もう一つは、啓蒙主義を捨てて感情論、と言って悪けりゃ価値観による
政治意思の表明を容認する立場を取る事である。

ちなみに、二次反対派に比べて少数派であろうと思われる
三次反対派に良く見られる、「児童の性的自己決定権を認めるべき 」
という主張は、児童の自主性や立場を尊重し、それでいながら
人権理解の点で規制推進派と明確な対立軸を構築している。

また、三次反対派の見解はあまり見聞しないのだが、
感情論による意思表明を必ずしも否定していないと言う印象がある。
ゆえに、その限りにおいては
論理の誤謬が二次反対派より少ないと評価できる。
 (その見解が世間一般に受け入れられるかどうかは別)





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