2013年04月29日

言説の暴力、真理の中心化は、多くの場合、人びとの幸福につながらないだろう


青識亜論氏との議論


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 このエントリは 内閣府スレ★39 より引用しました





380 名前:壊れたさん ◆W0I6REF2IY [sage]
     投稿日:2009/08/13(木) 23:46:25 ID:E4YuSMG7 [16/18]


刑法175条の欠陥、それは猥褻の定義の曖昧さに尽きる
当時の判例での猥褻物が、今は正規に出版できるという事実はそれを証明してる



 

 

 



399 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/14(金) 08:11:28 ID:RHnFmr55


>>刑法175条の欠陥、それは猥褻の定義の曖昧さに尽きる

曖昧であるがゆえに時代の風潮に柔軟に対応できるのであり、
実際、社会秩序から大きく逸脱しない形での運用が成されている。
また、日活裁判、愛のコリーダ裁判、メープルソープ裁判(関税定率法)など、
いくつか無罪判決も出ているが、
冤罪などの批判はほとんど国民の関心を呼んでいない。


 

 

 



393 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/08/14(金) 01:19:18 ID:ZWYm8lhq [3/4]


ネモ君は、表現の規制を緩めるのを
肯定しているのか否定しているのかよくわからんね。



 

 

 




400 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/14(金) 08:12:41 ID:RHnFmr55 [3/7]

個人的には、サブカルは規制されたほうが面白いし、燃える。
時代の流れで規制緩和されるのはしょうがないと思っていたが、
最近の議論を見るにつけ、ちょっとこいつらは痛い目にあわなきゃ
視野狭窄が矯正されないんじゃないかと思うようになってきた。

単純所持規制にキャンと言わせれるほどの効果があるかどうかは
疑問だけど (多分大したことにはならないと思うので)。

文中の 「こいつら」 とは、規制反対派を指します。



 

 

 



414 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/08/14(金) 15:21:52 ID:ZWYm8lhq


>>399

>曖昧であるがゆえに時代の風潮に柔軟に対応できるのであり

ごく素朴な疑問なんだけど、
なんでその時代の風潮とやらに対応する必要があるの?
「風潮」ってのは要するに、上の僕と君の議論の中で言えば、
「中心化された」「真理による」「権力」のことを平易に表した言葉だよね?

きわめて強い明確性の原則が要請される表現規制の問題で、
その風潮とやらにあわせるべしという命題が、どれほど説得的なのだろうか。



 

 

 



425 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/14(金) 20:36:33 ID:RHnFmr55 [5/7]

>>なんでその時代の風潮とやらに対応する必要があるの?

表現規制が容認されている国家において、体制に依拠しながら
表現を流通させようっていうなら、法的にも道義的にも対応する責任が
生じたとしても不思議は無い。
もちろん、地下に潜って志を貫徹しても良いんだけど。

>>きわめて強い明確性の原則が要請される

技術的に解決可能と考えるし、実際大した問題もおきていない。
説得力云々に関しては、ROMの理知的判断に期待するしかないだろう。


 

 

 



447 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/08/15(土) 00:32:00 ID:OMFnaSjg [1/4]


>表現を流通させようっていうなら、法的にも道義的にも
>対応する責任が生じたとしても不思議は無い。

そりゃ、可能性としてないとはいわない。
不思議かどうかと問われれば、不思議じゃないよ。
ナチスドイツでユダヤ人迫害が起きたことは、
過剰な民族主義を考えれば「不思議ではなかった」。
とはいえ、それが正しいかどうかというのは、また別の問題になる。

僕らはまずもって「べき論」を話しているわけだから、
可能性の問題としてあるかどうかということとは、また次元が別じゃないかな。


>説得力云々に関しては、ROMの理知的判断に期待するしかないだろう。

論理や説得力の世界と、実務の世界の乖離というのは多々あるけれど、
明確性の原理や二重基準はその代表的な例だ。
最も理知的な人びとの集団、
つまり学者たちの世界で明確性の原理が擁護されているのは、
それなりの意味があることだと思うよ。



 

 

 



460 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/15(土) 13:20:09 ID:ARDhorQf

>>僕らはまずもって「べき論」を話しているわけだから、

ああ、ちょっと表現が婉曲に過ぎたかもしれないが、
俺は 「対応する責任が生じてしかるべき」 と言いたかったんだよ。
理由としては、前にも言ったが生産領域における性愛領域の侵食を不安視する
社会風潮ってのは民主主義社会において無視できるものではないってことと、
個人的には規制があった方がサブカル的に面白いことになると思ってるから。
後は、志が低い反社会表現者並びにその擁護者に対する愛のムチを追加だね。

>>最も理知的な人びとの集団、つまり学者たちの世界で明確性の原理が
>>擁護されているのは、それなりの意味があることだと思うよ。


確かに、その意味を否定するような無謀な真似はできない。
しかし、しつこいようだけど、その原理が現実社会に投げ込まれたときに、
正しい形で運用が成されないのだとしたらそれは何故なのか、
どういう力学の作用で歪められてしまうのかという点にこだわりたいんだよね。
そしてそれは間違いなく 「大衆の願望」 の影響を強く受けていると考える。

俺を含めた大衆の関心事は 
「どうすれば幸せな人生が送れるか」 と言うことだし、
その問いに自覚的でないようでは、血の通った哲学・思想・知識たり得ない。
俺の言う理知的判断って言うのは、そこまで含めて言っているんだけど。


461 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/15(土) 13:20:33 ID:ARDhorQf [3/5]

しかしよくよく考えてみるに、
青識氏が 「理知を持って大衆を善導すべき」 と考えてるのなら、
それもまたパターナリズム的発想ってことにならないのだろうか?

大衆の判断力をどう評定するかによって、強くも弱くもなるわけだが。


 

 

 



481 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/08/15(土) 15:15:47 ID:OMFnaSjg [3/4]


>>460

>理由としては、前にも言ったが生産領域における性愛領域の侵食を不安視する
>社会風潮ってのは民主主義社会において無視できるものではないってことと、

ここに議論すべき問題があるよね。
君は生産領域が侵食されている、とは述べていない。
あくまで、不安視する風潮が無視できない(できない? すべきなのか、
すべきではないのか……?)、と言っているだけだ。

不安視。
微妙な表現だけど、その不安とやらに社会は従う「べき」なのだろうか。
ある時期、ユダヤ人に対する「不安視」は、民主主義社会において
「無視できない」ものになっていた。
何も敗戦で混乱しているドイツばかりでなく、ドレフュス事件に代表されるように、
戦勝国の側でもそれは深刻化していた。

もっといえば、大衆的な民主主義に対する「不安視」は
ヴァイマール共和国のもとで頂点に達し、
民主主義社会を否定する民主主義的決定がなされるまでになった。

児童ポルノ法を推進する動きが無視できないことは反対派も含め、
誰しもが認めている。
しかしだからといって、それに従うべきかどうかは別問題だ。
(戦後民主主義的な悪平等や弱者優遇の思想が、無視できなかったにしても、
だから従うべきという論理にはならないように)


>そしてそれは間違いなく 「大衆の願望」 の影響を強く受けていると考える。
>俺を含めた大衆の関心事は 
>「どうすれば幸せな人生が送れるか」 と言うことだし、
>その問いに自覚的でないようでは、血の通った哲学・思想・知識たり得ない。

だからなに?
よく意味がわからないので詳しく。



482 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/08/15(土) 15:24:09 ID:OMFnaSjg [4/4]


>>461

>>青識氏が 「理知を持って大衆を善導すべき」 と考えてるのなら、
>>それもまたパターナリズム的発想ってことにならないのだろうか?

その根源が理知であれ感情であれ、
何らかの物語や価値観によって大衆を導くこと、
上の議論で出たフーコーの語彙に従えば、言説の暴力、真理の中心化は、
多くの場合、人びとの幸福につながらないだろうということ。

理知的なパターナリズムの否定を、
理知によるパターナリズムだということはできない。

ネモ君は自己言及のパラドックスにこだわりがあるみたいだから、
ちょっと補足しておこう。
フランクフルト学派の先賢たちが指摘したように、
近代社会におけるパターナリズムは大部分、
真理や大義を掲げる大衆の手によって行われるものだった。
大衆自身がパターナルを要請し、大衆自身の手によって自由が放棄される。
パターナリズムの拒否というのは、自由を拒絶する自由を含むものと解せられる。
(そうでなければ、政治的な理念、命題として機能しない)

もちろん、多くの理念がそうであるように、
論理の抜け道や例外は生じるだろうけど、
一般的に言って、現代自由主義の根幹を成す発想だといって間違いはない。



 

 

 



507 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/16(日) 17:42:02 ID:n3Ben+fr [2/5]

>>481

>>微妙な表現だけど、その不安とやらに社会は従う「べき」なのだろうか。

社会が従うべきと判断したなら、従うべきだろう。

幾多の民主的な決定の中には、間違いだったと言う後世の評価を受ける例は
数多く存在するが、「民主主義も間違うことはある」 という当たり前の事実を
認識していれば、「従うべきである」 という民主主義の原則を阻却する理由にはならない。

もちろん、間違いが少ないことに越したことは無いし、なるべく間違わないように
幾多の防御策も講じられている。 
少なくとも、民主主義以上に優れた政治システムは
まだ考案されていないわけだし。

>>だからなに?
>>よく意味がわからないので詳しく。


大衆社会のリアリティに想像力を働かせないと、
折角の 「学者による明確性の原理の擁護」 も
現実社会の荒波にもまれてずたずたにされちゃうよって事。

俺は、いかなる理念であろうと、実効的であるかどうかを
是非の判断にしたいんだよね。


508 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/08/16(日) 17:42:33 ID:n3Ben+fr [3/5]

>>482

>>その根源が理知であれ感情であれ、
>>何らかの物語や価値観によって大衆を導くこと、
>>上の議論で出たフーコーの語彙に従えば、言説の暴力、真理の中心化は、
>>多くの場合、人びとの幸福につながらないだろうということ。


「特定少数の人びとの幸福につながらない」 というならわかるが、
それを大衆全般に敷衍するなら異論がある。およそ人間と言うものは、
なんらかの中心化された真理にすがらないと生きていけないと考える。

>>ネモ君は自己言及のパラドックスにこだわりがあるみたいだから、

だって、どう見たって詭弁としか思えないからさ。
理念上では解決を見たとしても、現実社会においてパターナリズム無くして
どうやってそれを 「パターナルを要請する大衆」 に納得させるのか?
誰も聞く耳をもたないけどそれでもかまわない、って言うんなら勝手だけどさ。


                        (2011/4/5    entry)





2011/5/19   追記

議論はまだまだ続きますが、
この後第三者も絡んでごちゃごちゃしてきて
なかなかまとめづらいものがありますので割愛します。
興味のある方は 内閣府スレ★39 を参照してください。




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