2013年04月29日

歴史に学ぶなら、表現物規制による文化破壊の危険性はより軽視されるだろう。


青識亜論氏との議論


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 このエントリは 内閣府スレ★11 より引用しました





289 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 22:56:51 ID:PJVegCZl

>>最悪の愚か者が、欲望を完全に肯定するような、モラリストから見れば
>>「バランス」を欠いた決定をしたとしても、
>>それは彼の自由意志に基づくものだから、価値判断の対象にはならない。


「やってはいけないと知りつつ、欲望に負けてしまう」 と言うような
あやふやな個人による選択も自由意志と認められるのだろうか?
教師などによる児ポ事件には、大概この構図が当てはまると思われるが、
これはホンネとタテマエという二元論のみで単純化できるものではなく、
倫理と欲望、相反する2つのホンネが共存しうると考えるべき。

他にも、職務上の必要性や経済的理由などが倫理と衝突した結果
前者が選択される事例などは社会生活を営んでいれば頻繁に見聞、
時として自ら行為の主体とすらなりうるが、その場合、
どちらが個人の自由意志として規範に反映されるべきなのか?
 (この疑問は>>833 の選好功利主義や>>835 についても同様)

そのあたりをどうやって制度化するかの具体的な説明が何も無いから、
どうにも現実性を判断できないんだけど。
俺が 「自由の否定」 と言ったのは、そのようなあやふやな意志の
集計を社会の規範とすることが、自由主義の理念に
反するのではないかと言う事。
後述するが、自由主義がニヒリズムを内包するのであればその限りではない。



290 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 22:57:36 ID:PJVegCZl

>>自由主義と民主主義をとる社会において、
>>そういう上位の意志は存在しえない。


観念論はともかく、現実の制度としてこの問題を考えるなら、
「2つのホンネのどちらを規範とすれば万人の利益にかなうか」 を判断できる
理性と知性の持ち主の意志を上位と位置づけるほかは無いだろう。

その判断にどう民意を繰り込むかは、一般生活におけるあやふやな意志の
行使に比べ、幾分かでも理性的・知性的判断が期待できる投票行動を
重要な指標とする以外に無いだろう。


291 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 22:58:53 ID:PJVegCZl

>>そうなると、君が最上位原則と呼ぶものは、~
>>同質的なものであることを保障する根拠はどこにもない。


「万人の利益」 とは 「健康的で文化的で公序良俗の守られた社会の実現」 
のことであると解釈してもらって間違いは無い。
その範囲は、小は家族から大は国家まで、(例外的に地球規模で) 
様々な共同体や組織が考えられ、
「万人」 とは、その構成員を指すと言う事になる。

利益の基準に関しては、その方向性におおまかな社会の
合意があれば科学的に数値化されずとも、制度上の判断基準としては
十分と考える。
その方向性に向けて最善の策を選択するという以上に、
「万人の利益」 を追求する有効な方法は無い。

その判断が実効的であったかどうかは、国家レベルなら様々な経済指標や
生活満足度など各種論点における世論動向、最終的には選挙による
国民の意志表示の帰趨により総合的に判断されることだろう。


292 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:00:09 ID:PJVegCZl

というか、自由主義は 「万人の利益」 を目的としないのか?
「人間の幸福が自然科学的対象のように、同質的なものであることを
保障する根拠はどこにもない。」 などという相対化で済む話だろうか?

「自由主義の目的は自由主義そのものであり、上位概念は無い」
というのであれば、それは狂信カルトと本質的にどう違うのか?

自由主義が 「万人の利益」 に対して無頓着であり、
市場原理や快楽原則を無批判に受容する立場であるとするならば、
それは多分にニヒリズムを内包、もしくはアナーキズムそのものと
理解しても良く、そのような原理主義的な運用は
万人の支持を取り付けることはできないだろう。

>>結局、どのみち、あらゆる規範の基準から、一つの社会規範を形成する
>>メタ的な論理としての自由主義が必要となるわけだ。


近代社会において、自由主義のエッセンスが最重要原則の
ひとつである事に異論は無いが、原理主義的運用に関しては疑問がある。
他の原則とのトレードオフ的運用で良質な部分のみを抽出すべき。



293 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:01:48 ID:PJVegCZl

>>「なぜ、性的規範を一定の枠内に押し込める必要があるのですか?」

様々な立場があるだろうが、俺が最も重要に思えるのは、
「性愛領域が生産領域に侵犯することへの防御機能」

生産も性愛も共に 「万人の利益」 には欠かせない要素であるが、
生産領域が主に公的で集団の秩序を必要とするのに対し、
性愛領域は個人的で非常に強い誘引力を有しており、
その秩序のありようは生産領域のそれとは全く質が異なる。

よって、生産領域を効率的に運営する為に必要な秩序が、
性愛領域の無秩序度の拡大により侵害され、破壊されるのでは
ないかという警戒心が、「時代を象徴し、また時代に影響を与える」
性表現への不安感、嫌悪感として立ち現れてくる。

>>ポルノを受容し、性的放縦が肯定されるべきと答える人間が増えたならば、
>>それが次の社会規範を構成すればいいだけのこと。


生産領域の秩序紊乱は一部の人間だけで可能。
社内で管理職の立場にある人間が部下とおおっぴらに不倫していれば
周りの人間関係がぎくしゃくするようなものである。
大多数の人間がそのような風紀のありようを承認する規範が
すぐに構築されるならそれでもいいだろうが、
ある程度の期間を要するのであればその間中秩序が
かく乱され続けるわけであるから、前もって社内恋愛を禁じておくなどの
防御メカニズムが働く事は合理的である。

性的放縦が肯定される事自体は時代の流れもありやむを得ないだろうが、
急激な混乱を招かぬよう漸進的に行うべきである。
したがって、急進的で過激な表現が規制されることもまたやむを得ない。



294 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:03:18 ID:PJVegCZl

>>一番最初に論じたように、「自由を否定する自由」を認めることは、
>>自由の自己否定につながる。


他の主義信条ならそれでもいいだろうが、自由原理主義に限っては
自己否定というより、むしろ自己実現なのではないだろうか。
「幸福の基準は無い」 などというニヒリズムを披瀝して、
自由原理主義がどのような結果を招くかに対して無責任な姿勢を
呈しておきながら、保身だけはきっちり図るというその態度は
いささかセセこましい印象を抱かざるを得ない。

しかも、そのような例外を許容するなら、拡大解釈で
つけこむ隙を与える事にもなる。


295 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:04:15 ID:PJVegCZl

>>周囲の規範に流されるというのも、それは一つの自由な選択。

ニヒリズムに立脚した、衆愚政治の全面肯定であると受け取っておく。
「幸福の基準は無い」 以上、その先に何があるかについては
全く意に介さないのだろうな。

>>規範の形成が自由意志で行われているからこそ、
>>規範に正当性が与えられるのであって、
>>そうでなければ個人を超えたなんらかの存在による
>>規範の押し付けにすぎなくなるからだ。


仮に自立した個人による意志の集合で新たな規範が形成されたとしても
それに合致しない個人にとっては押し付けにしかならないと思うんだが。

>>いわゆる「ラディカル・フェミニズム」と呼ばれる立場に
分類されるのではないかと思う。


ラディカルフェミニストと言えば、 「全てのセックスは強姦」 などと
極端な事を言う人達と言う印象があるが、児ポ規制に関しては
別の行動原理が働いているように思える。

たとえばアグネス・チャンなんかはアグネス論争の当事者であることからも
わかるように、その立脚点は肥大化した母性であり、
これに関しては他の推進派も大差ないのではないか?
人脈的にはつながる部分も多々あるんだろうけど。


297 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:10:52 ID:PJVegCZl

>>ある特定の規範に基づいて、アリーナの中での特例措置を認めることは、
>>それ以外の規範による無数の特例措置の可能性を
>>許容することになり、結局、アリーナの中での闘技自体を無効化する。


その特定の規範が 「自由を侵害する自由を認めない」 という
自由否定排除の原則にのっかるように拡大解釈すればよい。
早い話が、「児童の不快感や嫌悪感」 に限り、それは
「他者の自由の侵害」 であると解釈するのである。

>>PRIDEと表現のアリーナの違いは、PRIDEは中立的なルールを
>>策定する機関が存在するのに対し、表現のアリーナの場合、
>>ルールを決定する規範自体がアリーナの選手なのだから、


自由主義体制にも 「自由を否定する自由は認めない」 という不可侵のルールを
策定し、強制力を行使する何らかの機関が存在するはずである。

PRIDEの場合は、「体重差による不利」 に配慮して、
体重が軽い選手 = 弱者がルールを選択する権利が与えられている。
これは、格闘技において体重差の不利益は広く認知されているからで、
それを無視することは格闘技の公平性を大きく損なう事になる。
4点ポジションルールにおける特例は弱者にルールの選択を委ねることで
競技自体の正当性を保守しようと言う試みであり、
この意味において 「ルールを決定する規範 = 選手」 と同義。

これを児童性表現に敷衍すると、弱者である児童に配慮して、
児童 (を代弁する大人) がルールを選択する権利を付与される事になる。


298 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:11:51 ID:PJVegCZl

>>結局、他の規範をすべて排除するという行為を認めることになり、
>>自由意志による規範の決定を不可能にしてしまう。


これは、格闘技における体重差同様に、児童の人権がどう重要視され、
どのくらい広く認知されるかにかかっている。
それが極めて特別で限定的なものであるならば、
他の規範の排除容認につながるとは一概に言えない。

>>アリーナの中で、ある表現に対し、対立する規範それ自体
>>(この場合ならラディカル・フェミニズム)によって、
>>ルールの上で排除したり特例処置をとることを認めるのなら、
>>それはその規範にもとづく自分達の表現自体が、同じ様な取り扱いを受ける
>>可能性について、議論しなければならない。
>>例えば、男根優位主義がアリーナで勝利した結果として、
>>フェミニズム表現を排除するといったことを、認めるかどうかという問いである。


拡大解釈された 「児童の人権の侵害」 は 「自由の否定」 であると
みなせば、ラディカル・フェミニズム(俺の言う児童の人権真理教) は
対立する規範ではなく、自由を守る為の不可侵原則となる。

男根優位主義が 「児童の人権 = 不可侵の原則」 ほどの重要性を
獲得するならば、そのような問いも意味があるだろう。


299 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:12:50 ID:PJVegCZl

>>政治戦略的な問題としてはそうなんだけど、
>>単純にその問題を議論するだけなら、
>>歴史的にどのようなことがあったかを基準にして、将来を占うべきだ、
>>というのが正しい解答だと思う。


歴史に学ぶなら、表現物規制による文化破壊の危険性はより軽視されるだろう。

バーミヤン石仏のような巨大遺跡ならともかく、個人や少人数の手による表現は、
弾圧されたり無視されたりしても後世の評価を待つ事が可能。
蟹工船など発禁処分後に復刻された幾多の書籍物、
天保の改革で衰退した浮世絵、ゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン、モディリアーニなど
生前不遇を囲った画家などが例示される。

デジタル複製による保存が可能になった現代では、よりその可能性は
顕著となる事だろう。

経済政策など、ある程度力学構造が数値化可能な分野については同意。
ただ、それでも金融工学が失敗するなどの事例は多々あるようだが。


300 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:13:26 ID:PJVegCZl

>>反社会的な小説は多くあっただろうけど、
>>その中でも特にスタンダールやゲーテが残ってきたのは、
>>やはり小説に内在する普遍性が原因


同時代に反社会性と普遍性が同時に評価されるってのが
どうにもイメージできない。
で、スタンダールは読んだ事が無いし、当時の評価なども
知りたかったので調べて見たんだが、



松岡正剛の千夜千冊『赤と黒』上・下 スタンダール
   (web 魚拓取得不可のため、web ページのキャプチャ画像)

  1822年に有名な『恋愛論』を発表するのだが、
  なんと11年間に売れたのはたった17部なのである。
  「ぼくの作品は1880年か1935年に読まれることになるだろう」
  と言っていた。
  それでよかったのである。それがスタンダールだった。


上の記述が本当なら、当時は普遍性どころか反社会性すら、
いやその存在すらまともに認識されていなかったと言う事になるが・・・・・・?
ゲーテに関しても、反社会性は作品よりむしろ人物像に対して
言及される事が多いようだな。


301 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:15:50 ID:PJVegCZl

以上の主張を要約する。

●自由主義を具体的にどのように制度化するかが不明。
  特に、あやふやな個人の意志をどう規範に反映させるかについて。
  観念論としての整合性について反論の余地は無い。

●自由主義は 「万人の利益」 を約束しないのか?
  であるならば、その目的は?

●自由主義の重要性に関しては同意するが、
  他の原理とのトレードオフ的運用にとどめ置くべき。
  原理主義的運用はニヒリズム、アナーキズムに直結する。

●性表現規制の理由の一つは、「性愛領域の無秩序による
  生産領域の秩序破壊」 に対する防御メカニズムの発動。
  もっとも、漸進的に性規範が緩和される事は否定しない。

●「自由を否定する自由の排除」 を認めるなら、
  拡大解釈された 「児童の人権」 の侵害もまた
  自由の否定であると言う解釈を呼び込む余地を与える。

●創作物規制は歴史的に大した事にはならない。


  

  

  



306 名前:青識亜論 ◆GJwX8m7K0g [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:30:53 ID:oG+hSf15


ネモさんありがとう。
また時間が出来たら、反論を書くね。

なんか、確かに論点が拡散してきたみたいなので、
そのときはまとめの方にアンカーつけていいかな?



  

  

  



307 名前:captain_nemo_1982 ◆Rkh.UWPg4k [sage]
     投稿日:2009/01/18(日) 23:54:12 ID:PJVegCZl

そのほうがROMにとっても分かりやすいだろうね。
俺の方はまた来週になるのでよろしく。




★captain_nemo_1982 による補記

「自由主義編」 は一応これで終了です。

ご覧になった方なら一目瞭然ですが、青識亜論氏の論理構築力と
それを裏打ちする知識量は非凡なものがあり、
なにか職業的に人文・社会科学研究に携わっているのではないかと
伺わせるくらいの迫力を感じます。

それに到底太刀打ちできない私は、
「御説はごもっともだが、現実はどうなんだ?」
という方向にスライドさせることでなんとか
議論の体裁を維持させたというきらいは否めません。

私はこの、「理論に現状追認で対抗する」 という手法を、
その他の規制反対派との議論でもたびたび採用しているのですが、
青識亜論氏と私との知識量のレベル差が大きいため、
この議論でそれが通用しているかどうか心許ありません。

青識亜論氏には底が知れない懐の深さがあり、
私が何を知っているか、何を知らないか、
どのように解釈しているか、どのように反応するか、
全てあらかじめ知悉したうえでディベートを支配しているのでは
ないかとすら感じさせられてしまうからです。

それにしても改めて今回の議論における青識亜論氏の主張は
語り口やわかりやすさ含め非常に魅力的であるので、
当ブログを忌避しているような規制反対派諸氏にも
大いに参考になる部分は多々あるかと思います。

もっとも規制反対派の啓蒙主義路線を批判している私としては、
このような理論に傾倒してしまうことはハッキリ言って
反対運動のためにならない、とは思っていますが。




             (2011/4/1  entry)


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captain_nemo_1982 at 14:30│Comments(0)TrackBack(0)青識亜論氏との議論 

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