2013年04月29日

青識亜論氏との議論 目次

captain_nemo_1982 at 18:00│Comments(7)TrackBack(0)青識亜論氏との議論 

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この記事へのコメント

1. Posted by 多摩武蔵守   2013年08月01日 01:46
 当ブログにリンクを貼って下さりありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。

 さて、青識亜論氏との議論を興味深く読ませていただきました。
 nemo氏は「現実にはどうなのか、という方向に議論をスライドさせるしかなかった」と述べていますが、 理念に現実や健全な常識をもって対抗するのは、進歩派と保守派の対立軸の一つです。
 だから、決して負けてはいなかったと思います。

 一方で、私は理念の土俵に上がって正面から迎え撃つ方法がないかと考えていました。
 以下それを書き込みますので、よろしかったら参考になさってください(青識氏の議論の趣旨を読み違えていないか心配ですが)。
2. Posted by 多摩武蔵守   2013年08月01日 01:53
青識亜論氏(以下「青識氏」)の議論を読んで私が疑問に感じたのは、大まかに言うと以下の点です。

(1)性表現は規範を形成するのか
(2)ゼロからの規範形成はあり得るのか
(3)過激な性描写といえども人々が受け入れるべき理由はあるか

 以下、詳細を箇条書きにしました。

・性は私的領域に属する問題である。これに対し、規範は公的領域に属する問題である。したがって、性表現が規範を形成することは、理論的にありえない。
・「公的領域は偉大さを示すことはできるが、不適切なものをつなぎとめておくことはできない。これこそ、公的領域が魅力的なものにはなりえない理由なのである。」(ハンナ・アーレント『人間の条件』)
3. Posted by 多摩武蔵守   2013年08月01日 01:54
・私達人間はゼロから規範を作るわけではない。生まれたときから私達を取り巻く様々な要素に影響を受けている。要素の中には、共同体が長年にわたり受け継いできた価値観や、人権などの普遍的とされる価値観も含まれる。
・「われわれは自分の欲する行動をとって生活している。しかし、それが社会に混乱をもたらさず、多くの人とのつながりを保っていくことができるのは、そこに共通の行動様式と価値体系という目に見えない糸が、われわれを結び付けているからである。」(高坂正堯『国際政治』)
・過激な性表現はそれら「共通の行動様式と価値体系」と対立することが十分考えられるし、それらを壊してまで、性表現が自由にできることを優先するべきだという理由があるとは考えられない。特に当座の性的快楽を得る目的で婦女子暴行や陵辱を描くような性表現の場合、規制されるのは仕方ない。
・共通の価値体系さえあれば規範や秩序ができるわけではない。権力による強制の支えがなければ共通の価値体系も育たない。
4. Posted by 多摩武蔵守   2013年08月01日 01:56
・自由にも様々な種類がある。表現の自由とは「国家権力に表現自体を止められることはない」くらいの意味でしかなく、頒布の自由が制限されることはあり得る。
・同様に、過激な性表現が人々に受け入れられるとも限らないし、受け入れるべきであるという理由もない。
・表現の自由が他の自由や権利とぶつかり合った場合、表現の自由が常に優先されるべき理由はない。
・青識氏は「表現を規範によって制限するべきではない」というが、では青識氏はモデルが現在生きている誰かであるとわかるような形で、誰かと誰かの性行為を描いた作品が第三者の手により作られ、頒布された場合、それを認めるのだろうか。
・青識氏は恐らく「それは違う」というだろう。上記の例は表現とはいえ被写体が存在する「行為」に近づくからだ。だがそれは「表現の自由が常に優先されるべき理由はない」ということを認めた上での反論でしかない。
・青識氏は「他者の自由を侵害する自由は認められない」と述べたが、上記より表現活動が「他者の自由を侵害しない義務を各人が引き受ける(自由を自己規律する)」ことの埒外に置かれるべき理由はない。表現の内容や対象によって線引きは変わるだろう。しかしそのことと「他者の自由を侵害しない義務を各人が引き受ける(自由を自己規律する)」こととは矛盾しない。
・過激な性表現を称揚する青識氏の態度を支えているのは、「共通の行動様式と価値体系」に対する自覚のなさ。さらに言えば「共通の価値体系や自由な社会を形成するために人々が引き受けている様々な負担や義務」への想像力のなさ。煎じ詰めれば「権力や権威がなくとも社会の秩序は保たれる」という左翼的な考えであろう。

 長くなったので4つに分割し、連続投稿したことをご容赦願います。
5. Posted by captain_nemo_1982   2013年08月04日 18:18
>>多摩武蔵守さん

こちらこそよろしくお願いします。

さて、おっしゃってる事はおおむね同意できますし、
勉強になりますし刺激にもなります。

ただ一点気になったのですが、

>>性表現が規範を形成することは、理論的にありえない。

一方で

>>過激な性表現はそれら「共通の行動様式と価値体系」と対立することが十分考えられるし、
>>それらを壊してまで、性表現が自由にできることを優先するべきだという理由があるとは
>>考えられない。

という事ですが、性表現は規範は形成しないが破壊はするって事でしょうか?

私は性表現、というか、表現全般が規範を形成することはありうると考えます。
といってもその作用は一方向ではなく、相乗効果が働いているという事です。
議論の中では「歌は世につれ、世は歌につれ」 って言いましたが。

表現は、その時代に生きる人々の思想、倫理、願望、不安をすくい上げて形にします。
そして、それに触れた人々は更に自分の中の思想や願望を強化させていきます。
勿論、マイナスの作用が働く場合も考えられ、その影響の態様はさまざまです。
性表現というか、エロス領域に関わる表現全般で言えば、
純愛ブームやハーレム系マンガなどの流行もそれにあたると思います。

その中でもサブカルチャー、カウンターカルチャーってのは、
個人の中の禁忌やネガティブな心性や隠匿される欲望を意図的に抽出し、
挑発的かつ刺激的に称揚するという表現の形ですよね。
仮に挑発表現とでも呼ぶことにします。
6. Posted by captain_nemo_1982   2013年08月04日 18:18

それから、公的領域と私的領域を分離する考え方ですが、
公的領域の規範というものは、人々から切り離された力場のようなものが
存在しているのではなく、やっぱり個人一人一人の中にあるものであり、
それが集積して社会的な規範という形で表れるんだと思います。

いうなれば、個人それぞれの中に公的規範と私的規範が存在する。
「建て前とホンネ」 っていう奴ですよ。
そして、個人の中の 「ホンネ」 の部分が、挑発表現の影響により増大し、
「建て前」 の部分を侵食するのではないか、その集積が社会全体の秩序に影響し、
生産領域(職場や学校)の効率を妨げるのではないか、
という不安が、防御機能を発動させ、規制という形で表れるという事です。

議論の中でも言いましたが、教職者の児ポ法違反事件など典型でしょう。
彼らの中では、「やっちゃいけない」 という公的領域と、
「それでもやりたい」 っていう私的領域が常にせめぎ合っていた筈です。
それが、挑発表現などに触れるなど何らかの外的刺激を受け、
私的領域の拡大を後押ししたのではないか、という事ですね。
もっとも、犯罪の原因にはいろんな要素がからんでいるので、
一概に挑発表現だけの責任にはできません。
やっぱり規範形成には、周囲の人間との関わりが一番大きい影響を持つでしょう。

となると、ヤバいのは児童ポルノネットワークなどに参加することです。
同好の士と交流するうちに、「みんなもやってるんだから」 という風に
従来の公的領域ととってかわった新たな公的領域を形成し、
そうなると私的領域との境界が曖昧になってしまうのです。

7. Posted by captain_nemo_1982   2013年08月04日 18:18

それから、青識氏の 「態度」 「自覚」 「想像力」 「左翼的考え」 ですが、
あの人は全てわかって議論してるんだと思いますし、
ディベート的に逆の立場に立って議論しても、完璧に規制推進派の
役割をこなせると思いますよ。

「2ch じゃなかなか腰を据えた議論が出来ない」 って言ってましたが、
私を相手にすれば自分の論考を延々と披露できると考えて、
議論を持ちかけてきたんでしょうね。
そうであれば私にとっては光栄なことですが、
議論中は完全にコントロールされてるなと感じました。
おそらく、私の反論は全て予測していた上で、誘導してたんだと思います。
悪意があるなら、私を一発で論破することもできたでしょう。

にもかかわらず、ああいう結末に持ち込む点からしても、
青識氏の紳士的かつ大人の態度に感服せざるを得ないのです。

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