2013年04月27日

児童ポルノ法規制反対派への愚痴 あかさたなの執行実験場


他サイトによる規制反対派批判

 
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児童ポルノ法規制反対派への愚痴
あかさたなの執行実験場/ウェブリブログ

                   (web 魚拓)
                      (2009/6/25)


というわけで明日から改正児童ポルノ法の審議が始まるようですが、将来的には表現規制が盛り込まれる可能性があるわけで、
規制反対の意見がネットを中心に盛り上がっております。しかし、規制反対派の行動を見てみれば「こんなんで本当に勝ちたいのですか?」というのが正直な感想です。
以下愚痴をつらつらと書き連ねてみます。

まず第一に情報知らなすぎるし、戦術も戦略もなってない。
まだ、今回の改正案は自民党案ですら三次元規制(ただし2次元は規制への含みは残している)に留まっている段階ってことどれだけの人が知っているのでしょうか?殆どの反対派が全てを規制するかのように早合点しているのではないでしょうか?
彼らの言い分では「俺たちは2次元にしか興味はない」という主張だったはずで、3次元をいくら規制されても問題は無いはずですが・・・。

というと、ドイツのルター派牧師であり反ナチス行動で知られるマルティン・ニーメラーの「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』という詩を引用し、どんどん恣意的な運用や、規制範囲がエスカレートしていくから歯止めをかけるんだという主張を繰り広げてきます。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。

ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。

ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。

ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した
―しかし、それは遅すぎた。

しかし、恣意的な運用だの、どんどん規制範囲がエスカレートするだのの主張ってどこかで聞いたことがあると思いません?
そう、左翼の有事法制や通信傍受法、国旗国歌法あるいは憲法9条への反対にそっくりなのです。
だけど結果を見てみたら改憲以外みんな法律が通ってしまっていますし、第一不安を煽るなんてやりかたは全くスマートではありません。(まあ、一番不安を抱いているのは反対派なのでしょうけど。)
というわけで、この論法はまったくもって誤っているわけです。

また、個人的な意見なのですが、社会に出てない甘ちゃんの人が多いせいか「良い意見はかならず受け入れられる」という考えがどっかで蔓延していませんか?
でも、はっきり言いますが、規制派と反対派の戦力はタリバンと米軍くらいの違いがあるんだから、どんなに正論を言ってもこのままでは多数決で負けてしまうでしょう。ポイントは次にも書きますが、集合とプロモーションなのだと思います。

第二に烏合の衆過ぎ。
オタクをまとめる池田大作みたいなカリスマが居ないと無理かもしれないけど、とにかくオタクは烏合の衆過ぎ。こんなんじゃ産業革命期の労働者と一緒でまったくもって歯が立たない。
やっぱり、政治に働きかけたいというなら団体を作ってロビー活動をしなければならなくなります。
すると、やれ政治献金だ、やれ政治資金パーティだとなってきます。もし選挙に出ようとしたらそれこそ創価学会員公明党員みたくしつこく知り合いに電話したり自宅を訪問したりして投票をお願いをしなくなる羽目になります。
だけど、言論の自由と本気で言うならそれをしないといけないでしょう。

第三にそもそも動機が不純すぎ
やっぱりどう言論の自由だ何だと理論武装しても、下半身に直結しているという事実は最後まで反対運動の足かせとなっている事実は否めません。
討論をやって、そのことを指摘されて、「じゃあ、なんで風俗で燃え(萌え)られないの?絵で抜くなんて変態じゃん」と言われたら、「迷惑はかけないから、人の性癖でどうこう言わないでくれ」以上の反論は難しくなってきます。
「その変態じゃん」という気持ちが反対派を表現規制に駆り立てる大きな原動力となっているのではないでしょうか?

普通の漫画やアニメでさえ、卒業する物、子供の物というイメージが年配層にはあるわけですし、未だに「オタク=勤君」というイメージがありますから、オタクの内輪で留まっていないでもっと地域社会との関わりを持ち、信頼関係を持たないといけないのではないですか?小学生の子供の登下校を警備をするとか。
あるいは逆に、俺たちのおかずを取り上げないでくれと堂々と主張するのも良いかもしれませんね。幸徳秋水みたく、死刑になってもエロゲのために戦い、血を流す覚悟があれば数十年後には性癖権ができるかもしれません。(半分冗談ですが)
と今までつらつらと書き連ねてきましたが、私自身は表現規制なんて物は論外だと思っています。しかし、反対派もあまりにお粗末すぎたので愚痴を書いてみました。





★ captain_nemo_1982 のコメント

マルチン・ニーメラーの詩の引用に関しては、私も
売国奴スレのレス番11において
批判しているが、今にして思えば、脅威の範囲をちょっと広げすぎて、
論理としては雑だったかなと思う。
あかさたな氏の指摘は、対国家権力による強制力に限定されており、
ニーメラーの詩の強引な引用に対する批判としては
より妥当だろう。

「オタクをまとめるカリスマ」 だが、私も反対運動に対する
いくつかの提言をする中で、その存在の重要性は認識してきたが、
オタクの心性にかんがみた場合、情緒的にも戦略的にも
彼らがそのような存在にアイデンティティを寄り添わせる可能性は
低いように思える。

彼らは、何者にも束縛されない確立された個として
自由な生活を享受していきたいわけであるから、
カリスマリーダーのような個を統率する存在は
情緒として受け入れがたいだろうし、
人間社会でそのような自由社会が実現すると本気で信じている
純粋さからして、戦略的に受け入れる発想を持てないだろう。

「動機の不純さ」 はどうだろう?
私は動機責任論は基本的には問わない立場だが、
あえてそれを考えてみた場合、必ずしも小児性愛者だけが
規制反対運動をしているわけでは無い様に思える。
もちろん、合法的な性表現にまで火の手が及ぶ懸念から
反対している非小児性愛者もいるだろうし、
社会学的、法理論的な見地から反対する人もいるだろう。
ただ単に国家権力が私人領域に介入することが気に入らない、
という幼稚な個人主義に立脚する人間もいるだろう。

しかし、児ポ法反対運動が他のネット反対運動に比べて
非常に人気があり、息も長く、いわば粘着力を強く有する理由として、
「小児性愛は迫害されやすい」 という要素が一番にあるのでは
ないかと考える。

これは反対運動者が小児性愛嗜好を持つ持たないにかかわらず、
世間がそれをいとも簡単に嫌悪するという短絡的無理解に対し、
「真実」 を訴えてその無理解を糺し、社会正義を実現したいという
判官びいき的な使命感にとらわれるのだろうと思う。

すなわち、児ポ法反対運動は性欲に直結されやすいからこそ、
その誤解を解くことにことさらやりがいを感じるという、
いうなれば自己実現の問題である。
 (この辺りは、あかさたな氏のいう 「原動力」 も
  おそらく私と同じことを言っているのだろうと思うが)

もっとも、世間の無理解を解きほぐすのにもっとも重要な
「真実」 あかさたな氏いうところの 「良い意見」 が
間違いだらけであるところに、自己実現転じて
自己陶酔にしかなっていない現実が露呈している、といえるだろう。



                (2010/8/17 entry)



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captain_nemo_1982 at 18:30│Comments(0)TrackBack(0) 他サイトによる規制反対派批判 

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