2013年04月27日

ふじながたかみ氏の日本御臨終宣言


他サイトによる規制反対派批判


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第2回 AMIはバカ左翼の巣窟か!
           (web 魚拓)
               (2004/9/20)

■ もはや左翼的な表現規制反対運動は終わった

私は表現規制問題について政府批判もやっているが、最大のガンは民間にあると考えているほうである。マスコミによる政府ケツ舐め報道で偏見が後押しされて賛成の声が上がる。それを利用して愚かな政治家や官僚が法案を作る。マスコミによる世論誘導がないとしても、自己決定で表現規制に賛成するという愚か者がいるということもありうる。こういう連中が大挙して出てくるのはリベラリズムの観点から言えば許容できない。

バカ左翼は統治権力だけを問題にし、民意をアテにしようとするが、国民の大部分が規制に賛成する現状で民意をアテにしてどうなるか。AMIも共産党や社民党への投票を呼びかけるが、間接的にも直接的にもバカにエサを与えてどうする。メンバーもバカ左翼ケツ舐め状態だし閉鎖的で、しかも誰もそのことに言及しない。宮台さんのセリフではないが、「いったいどういうことだ。この腰抜けどもめ!」。

ことほどさようにAMIがバカ左翼ケツ舐めの巣窟になってしまっている現状では、もう規制反対運動の旗頭を担わせるわけには行かない。繰り返しになるが、おバカな規制推進派にエサを与えるだけだ。

こんな誰にでもわかる論理を考えているのはAMI-MLメンバー内でおそらく私一人だけだろう。



第22.5回 極右と極左は共通する
             (web 魚拓)
                  (2005/5/4)

■ 「冷徹になれ」を「空論扱い」とは心外

 私は規制反対派の主張を空論と言ったことはない。規制推進派の方が空論なのだが、奴らの空論と規制反対派の主張とどちらが通りやすいか見極め、その上で冷徹な動きをやれと言っているのである。私はAMIを含めた規制反対派に「冷徹になれ」と言っている。規制推進派よりも冷徹に。何べんも使いまわされた主張だけではもはや有効ではない。ナイーブなままで、物事の深層を見極める能力を持っていなければ規制推進派に勝てない。重ねて言う。冷徹になれ! もっと踏み込んで、規制推進派の動きを止めることだ。カマヤンさんは「金は原則的には出ていく一方なのだから。失うもの多くて、得るもの少なすぎ」とは言うが、そんなもんで私の心情をわかったとは笑わせる。金の問題に還元している時点でダメ。「金さえあれば」という意識自体が器の小ささをあらわしている。金がなくてもやれよ。金がなくても耐えられる心意気があれば十分。


■ 以下、罵倒モードをお楽しみください

 私もAMIの皆さんの活動は尊敬に値する。できれば私も参加したい。その上で言わせてもらえるなら活動の中身が問題で、あまりに稚拙すぎるのではないかという印象がある。私の100倍しんどい仕事をしてると言っても、その中身が私の100分の1程度だったら話にならない。それなら私が出た方がマシに思える。

 (中略)

 前に触れたとおり、誰が読んでも納得できるような情報収集を行っているカマヤンさんはむしろ尊敬する。これまたその上で言わせてもらえるなら表現規制のことだけに限定したり、斎藤貴男さんの本を鵜呑みにしたのはバツ。斎藤さんの原風景を無批判に称揚するさまはいったい何なのか。「安心のファシズム」なんか宮崎哲弥さんに批判されたぞ、香山リカさんともども。

 で、「私は『オタクによるパートタイムな政治参加』を推奨している」。あのな、そのオタクが思考停止ばかりであまり当てにならないのは散々AMI-19で述べただろ。現状を見もしないで何を言うか。ましてやエロゲメーカーの掲示板に書き込んでいる奴ですら思考停止。どこを見ても思考停止。太平の眠りにつくオタクに政治参加呼びかけたって、意味ねぇーんだよ。

  (後略)

第32回 ふじながたかみ、「脱・表現規制反対派」宣言
              (web 魚拓)
                    (2005/8/30)

■ 左翼的規制反対派の存在価値はもはやない

ここ2年の私の表現規制問題への考え方は「統治権力ばかりに目を向けずに国民にも目を向けること」である。最近ではこの考えがもっともシビアになってきて、私益を追及する政治家や役人に権利侵害で訴えたって無駄と思えた。もはや「表現の自由」をタテに反対するのはマスターベーションでしかない。国民が表現規制を要求するほど不安が広がるなら不安の要因を考えていかなければならない。そして不安を手当てする社会的施策を考えていかねばならないのに、規制反対派の論調は権利や陰謀論ばかりで私なんかあきれ返る。賛成派も反対派も議論の前提が不備。だから私は「表現規制問題よりももっと大事なことがあるだろう」と言ってきたのに、バカな反応を返されるだけでどうにもならない。規制反対派がただ表面的なことだけしか語らないというならば、私は表現規制反対派などやめてやる。

結論。左翼的な自己保身のカタマリである規制反対派の存在価値はもはやない。国家権力にばかり目を向けて、ガス抜きするアホだらけじゃ結果は推して知るべし。もういい加減に目ェ覚ませよ。と言ってみる。もう半端な態度で表現規制に反対したってダメ。流血覚悟で臨むしかない。そういう心性を持った者が現れぬ限り、私は表現規制反対派を名乗るのを今後一切やめる。それが私の「脱・表現規制反対派」宣言。無垢でアホな田吾作と一緒にされては迷惑千万である。


第41回 表現規制問題とヘタレ右翼
              (web 魚拓)
                 (2005/12/13)

■ このままでは規制賛成派の勝ちは決定

エロメディアなどの表現規制問題は反対派に不利になってきている。にもかかわらず相変わらず権利だの陰謀論などを持ち出して反対する輩が多い。まあ宗教右翼と日本会議はつながっていることは確かだろうし、警察やヤクザとの癒着は否定できない。しかしそれしか提示されなければミスリーディングになりかねない。宗教右翼と日本会議のつながりにしても崇高な何かと一体化する類の脆弱さがあるからだし、公安とヤクザの癒着だって利権が絡んでいる。それに限らず表現規制問題は多方面から切り込まないとまずい問題故に、規制反対派の主張には突っ込むときりがない。

そうしたことから表現規制問題は日本の不安神経症的なメンタリティそのものを問題にしない限り、対処のしようがないということが分かる。要は単に規制賛成派やそれをとりまくファクターを批判して済む話ではなく、90年代ごろから深刻化してきた様々な問題をまず問わなければならない。規制反対派がそれを意識しないのは自分たちに跳ね返ってくる話であるが故に取り上げないからであろう。

動員手法にしても、「正しいことを訴えれば必ず賛同する人が増える」といった考えが見えてくる。しかし忙しい連中が仕事や私生活を差し置いてわざわざ社会運動に参加するのか。そこが甘いところである。

そして感情的フックを使って動員した場合、力のある者が最終的には勝利を収めるという不公正な争いになってしまう。現に規制反対派と規制賛成派の鍔迫り合いはもはや力技の話になってしまっている。そうなると確実に勝つのは規制賛成派である。規制反対派がそうした手法をやめない限り勝ち目はない。私はそれを危惧するからこそ表現規制反対派を名乗るのをやめた。梯子を外されまくっているのに無自覚な輩に与したくはない。別の所から梯子を掛けることが重要なのに。



第53回 表現規制反対派は賛成派を笑う資格なし
                (web 魚拓)
                    (2006/11/5)

■ 表現規制問題にしか視点がないエゴイズムぶりを露呈

私はこれまで表現規制反対派を見てきたが、彼らの意見を見て思ったのは「こいつらバカだ。視野が狭すぎる」ということである。それが顕著だったのは教育改革問題である。私は以前から内藤朝雄さんや宮台真司さんの唱える教育改革には賛成の立場を示し、「ゆとり教育」には賛同してきた(真意がわからぬバカが最終的には潰してしまったが)。宮台さんが言うように勉強よりも遊びや人間関係に時間を割いたほうがいい。内藤さんが言うようにイヤな人間と長時間拘束される必要はない。そうでなければ人間関係もマトモにならず、いじめが減らない。そこを見据えずにバカ右翼やバカ左翼はそれに反対してきた。教育を変えることは、「いじめを放置して子どもにストレスを強要し、人間関係を破壊させてきた」連中には都合が悪い。バカ左翼に限定して言うなら、表現規制賛成派のみならず表現規制反対派にもそういう心性がある。先述の統一教会批判も含めて。

その他にも、有識者会議に表現規制賛成派の名前があるというだけで反対派の人も一緒にされてしまったり、「表現規制を行うための会議だ!」と簡単に決め付けることもある。そう言えば、「利権が絡んだ」というのもあったな。しかし、「利権」は表現規制賛成派の動機としては全面的に否定しづらいところがあるけど小さなこと。何しろ「利権」は引き金に過ぎず、それだけで人が動くことはないからだ。「利権」だけなら、タマの入っていない銃を撃つようなもので話にならない。「タマが入っていなければ引き金を引いても危険はない」というのは表現規制反対派がよく持ち出す限定効果論のようなものであるが、「利権で人が動く」=「利権が表現規制の動機の全てである」かのように持っていくのは、表現規制賛成派の依拠する強力効果論と同じ理屈ではないか。「引き金だけでも危険」。表現規制賛成派の論理をそのまま流用しているのに気づいていない(「タマそのもの」を論じようとない)。これではヴァルネラブルになっても仕方がない。表現規制賛成派が持っている「他者への恐怖感」と「一方向で無邪気な善意」。そこを突かない限りは新たな表現規制賛成派はまた現れる。森達也さんが「サブカル「真」論」で述べたことを流用すれば、「権益や利益だけを目的に、表現規制賛成派は動かない」。

  (中略)

表現規制賛成派が何か言ってきたら、パブロフの犬のように反論を返せばいいという方法はもはや有効ではない。何も見据えずに、反論を返したって今や無効である。表現規制賛成派は、反対派が何を見ていないかは全てお見通しである。それを前提にして考えなければならない…のだが、日本人というものはハッキリとした敵(仮想敵じゃないよ)がいないと何もできず、自分のケツも拭けないアホばかりだからどうしようもない。腹を切るしかないのか。





★ captain_nemo_1982 のコメント

まずは何と言ってもここを紹介しなければならないだろう。
私が児ポ法の議論に参加してまだ日が浅かったころ、
当時参加していた売国奴スレにリンクされていた氏のブログを見て、
漠然と抱いていた規制反対派に対する違和感を見事に代弁してくれている、
と感激した覚えがあるし、
反対運動への苦言や 「規制派も反対派も同類」 という発言など、
氏の指摘から私が受けた影響は大きいものがある。

いうまでもなく氏の基本スタンスは一貫して規制反対であり、
一連の発言は単純に規制反対派を批判するだけのものではないと
ここで釘をさされているし、私もそこは承知しているつもり。、

このカテゴリで紹介する他のサイトやブログにも言えることだが、
規制反対の立場の人間が規制反対派を厳しく批判していたからと言って、
そしてその部分のみを引用して紹介したからといって、
必ずしも規制賛成派に有利な方向に議論を誘導できるものではない。

氏がどのような視点でこの問題をとらえており、
どのような提言をおこなっているのかは
氏のブログにおける発言をすべて読み込んでみる必要があるだろう。



                       (2010/7/30 entry)



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captain_nemo_1982 at 22:30│Comments(0)TrackBack(0)他サイトによる規制反対派批判 

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